Professor's Columns

第18回2005年7月5日

広告を学ぶことは民主主義に通じる

マス・コミュニケーション学専攻  水野 由多加 教授

 社会的にも活躍する高名なある政治学者にインタビューした際に「日本の民主主義に欠けていることは、日々の暮らしが『大義』だ、という基本的な知識だ。街並が欧米に比べて汚い、布団を干したいが日が当たらない、緑が少ない、こうした日々の思いを国の経済や産業の振興といった大所高所のことにもまして『大義』と捉えるのが本来の民主主義なはずだ。」と聞いたことがある。この時、中学以来の「民主主義」についてのタテマエとこの国の実態についての「長年の胸のつかえ」がすっと下りたような感慨を持った。

 消費者志向を言うマーケティングはビジネスの美化か。

 そうかもしれない部分もあろう。

 けれども、社会に広範に到達し、広告は受け手の環境の一部、と認識が出来るのならば、広告にあれこれ言うこと、広告にあらゆる意味で社会性を求めることは、「日々の暮らし」の最も今日的な大義の一部分である、と考えてもあながち妙なことではない。多くの企業と消費生活がここでインタフェイスを大きく持つからである。

 受け手のクリティカルな目、送り手の仕組みを踏まえた上での厳しい目、また適切な事象への賛意、新しいこととの出会いを可能とさせる場合の喜び、社会全体としての適切性、様々な目を持って広告を理解し批判することは、現代社会を理解し批判するひとつの具体的な行為であろう。

 この国がもっと愉快で、暮らしやすくなることとマーケティング、広告の実践を誘導することは密接な関係がある。学び、検証し、考え、発言、行動ができるようになり、ひとりひとりが「商品ジャーナリズム」なり「広告を見る目」を身に付けたらば、日本の唯一の国家目標「福祉国家」の内実にも貢献するところが少なくない。

 誰もこんなことはこの国では言わないが、誰もが言わないから妙なこととは私はこの件についてはまったく思わない。私はそのような確信犯的広告研究者であるのだった。

マス・コミュニケーション学専攻

水野 由多加 教授
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