関西大学 人間健康学部

講演会・シンポジウム等Seminer

「すこやか教養講座(第4期)」の第2回を開催いたしました。

  • ■日時

 2012年1月28日(土)に、すこやか教養講座(第4期)の第2回を開催いたしました。

講 師:京都大学大学院教育学研究科教授 稲垣 恭子
テーマ:「女学生の昔と今」

旧学校制度の女学校の卒業生のなかには、ご高齢になってもなお、新しい知識を得たり音楽を
聞いたりすること自体を楽しんでおられる方々がいらっしゃいます。稲垣先生は、こうした知的好
奇心や教養指向が女学校時代に培われたものであるということや、女学校に共通の文化が形
成されてきた過程などについて、女学校の歴史や関西の女学校卒業生への調査結果をまじえ
ながらお話いただきました。

女学生は明治になって登場しました。女学校自体は良妻賢母教育を看板に掲げ、家事裁縫
などの実用的な知識と技術を身につけさせる場となっていました。しかし、女学生の存在は
社会にとって新しく、彼女たちは「時代の最先端の女性」というイメージを持たれていました。
実際に、服装やヘアスタイルも、一般女性とは異なる、女学生特有のスタイル(袴に着物、
束髪にリボン)でした。この他にも、女学生の英語まじりの話し方や「~よ」「~だわ」といった
独特の様式がみられました。こうした女学生のスタイルは、軽薄や生意気と揶揄されることも
あったそうです。やがて大正期に入ると、女学生が増えたこともあって、モダンでかわいい女
学生のイメージを特徴とする、共通の文化が形成されるようになりました。

関西の女学校は、神戸を中心とするミッション系の学校と京都や滋賀の公立学校とに大別さ
れます。稲垣先生の調査では、これらの学校の種別は、学校に所属する女学生の得意教科
等や家庭における行事と相関があることが明らかになりました(たとえば、神戸の学校には
英語好きの女学生が多く、京都や滋賀の女学生の家庭では地域行事が重視されていました)。
また読書一辺倒の男子の旧制高校と比較すると、女学生は稽古事も多く、内面と外面が一体
となった優美さにつながる特有の女学校教養文化の広がりにつながったのではないか、という
分析結果を示していただきました。

最後に、近年の大学から職業へスムーズな移行という課題と、どのようにして生きていけば
よいかという問いへの答えのひとつとして、女学校にみるような、実利的な知識に偏らない、
人生の岐路において役に立つ教養も大切にしていきたいと話されました。

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