カリキュラム

教員エッセイ

第13回ブラジル連邦共和国・ベロオリゾンテからの声

商学部准教授  長谷川 伸(国際ビジネス専修)

 ブラジル連邦共和国ミナスジェライス州の州都ベロオリゾンテは、サンパウロに次ぐ工業都市であり、サンパウロから586km、リオデジャネイロから444km、ブラジリアから741kmのところにあります。南緯約20度ですが、標高が約850mと高いため年間平均気温が21度と快適です。ラテンアメリカで最も生活しやすい都市とされています。

 私はこのベロオリゾンチにあるミナス・ジェライス連邦大学に在籍しています。日本からブラジルへの技術移転がどのようになされたのかを、日伯合弁鉄鋼企業として1950年代に設立されたウジミナスをケースとして研究しています。

 こちらは、コミュニケーション手段として「しゃべること」が極めて重視されています。例えば、タクシーの運転手は道を知りつくしているわけではありませんが、地図は持っていません。行き先を知らない場合、通りがかった人々に尋ねます。ただし、それが正しいとは限りません。訊かれた側は「知らない」と答えるのは不親切に思うのか「その場を楽しくしたい」と思うのか、ほとんどの場合「知らない」とは言いません。そのことを尋ねる側もわかっていて、何人かに同じ質問をしてどれが正しいか確かめます。ちなみに、こうしたやりとりはタクシーの運転手に限らず、一般的に行われています。「だったら地図を用意しておけばいいのに」とも思いますが、そうした手間をかけてまで人に訊くわけです。

 別の例を挙げると、バス停で路線バスを待っていると、誰彼かまわず「2004番のバスは行ってしまったか」などと前置きなしに聞いてきます。この場合は、あいさつもありません。一般的に言えば、会話はあいさつから始まることも多いのですが、いきなり質問から会話が始まることもあります。どこから会話を始めても、名乗っても名乗らなくてもいいようです。

 こうして見てくると、「口を持つ者ローマに行く」というこちらの諺通り「わからないことがあったら、とりあえず周りの人に訊いてみる」「気軽におしゃべりをして楽しむ」文化のようです。日本では「人に訊かずに自分で調べろ」「おしゃべりは無駄だ」と否定されてしまいがちですが、こちらに来て「しゃべること」そのものの効用を実感しています。ただのおしゃべりでも元気を生み出したり、気分を晴らしてくれます。ブラジルの人々はだからこそ、あらゆる機会を捉えて「おしゃべり」するのかもしれません。

"A Tiny Ripple" no.59 『在外研究員現地リポート』より

2009年03月06日更新
※役職表記は、掲載当時のものです。

※2005年10月から2006年9月末までの1年間、ブラジル連邦共和国のミナスジェライス連邦大学(UFMG)にて在外研究。

 

☆フランシスコ教授(右端)とそのスタッフとともに(筆者は右から2番目)☆
フランシスコ教授(右端)とそのスタッフとともに(筆者は右から2番目)

☆リサーチアシスタントのアルミルさんと私の研究室で☆
リサーチアシスタントのアルミルさんと私の研究室で

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